奇抜な構図と鮮やかな色彩で富士の多様な姿を捉えた連作「富嶽三十六景」をはじめ、身の回りの森羅万象を描き写し、ヨーロッパで「ホクサイ・スケッチ」としてフランス印象派画家に大きな影響を与えた「北斎漫画」など、国内はもちろん、海外でも高い評価と知名度を得ている葛飾北斎。
『墨田で生まれた絵画表現の冒険者』
宝暦10年(1760)9月23日、本所割下水(現在の墨田区亀沢)に生まれた北斎は、浮世絵の役者絵を出発点として、狩野派、光琳派、大和絵など、さまざまな流派の技法を学び、新しい画風をどんどん確立させていきました。
役者絵、美人画などが高く評価され、絶頂期を迎えた40歳代半ばの北斎は、文化元年(1804)、江戸音羽の護国寺で、120畳の大きさの紙に達磨を描くというイベントを開催、大評判となるとともに、その名を不動のものとしました。
90年の生涯に93回の引越しを繰り返したという北斎ですが、その地域は本所・向島を中心とした隅田川界隈に集中しています。

『富嶽三十六景』
名作「富嶽三十六景」は、天保2年(1831)から天保4年(1833)にかけて製作された。70歳を過ぎてからの作品とは思えないが、北斎にとって70歳は決して晩年ではありませんでした。
80歳を過ぎても創作意欲は衰えず、死の床に就いた嘉永2年(1849)、「あと10年、いや5年でよいから生きさせてくれ、そうすれば真の画工になれる」といって息を引き取ったといいます。

『すみだ北斎美術館』
墨田区では、この地を故郷とする偉大な芸術家、北斎を、区民の誇りとして永く顕彰するため、「すみだ北斎美術館」の建設を計画(2012年開業予定)しています。
『北斎略年表』
宝暦10年(1760) 本所割下水に生まれる。
安永 8年(1779) 20歳 勝川春朗の名で作品を発表しはじめる。
寛政 6年(1794 )35歳 俵屋宗理を襲名
寛政10年(1798) 39歳 宗理号を門人に譲り、北斎辰政を名乗る。
文化 1年(1804) 45歳 音羽護国寺の開帳で120畳の達磨半身像を描く。
文化11年(1814) 55歳 絵手本「伝神開手 北斎漫画 初編
天保 2年(1831) 72歳 錦絵「富嶽三十六景」
嘉永 2年(1849) 90歳 4月18日 浅草聖天町遍照院境内仮宅にて没する